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三島由紀夫没後50年の日本

2020.12.3
2020.12.3
先週11月25日は戦後を代表する作家の三島由紀夫が起こした事件から50年になります。
詳細については、産経新聞の記事を皆さまにご紹介したいと思います。

(三島)事件とは、三島と森田必勝など楯の会メンバー4人が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊施設の東部方面総監部を訪問し、益田総監を拘束、幕僚らを斬りつけた後、バルコニーで憲法改正のために自衛隊の決起(クーデター)を呼び掛けたが、三島の声は自衛隊員の罵声と報道ヘリコプターの爆音にかき消され、あえなく三島は演説を断念。
総監室に戻り三島は森田とともに割腹自決しクーデター未遂になったという事件です。

当時生きていなかった私は、後にこの三島事件が日本だけでなく世界も驚いた事件だったことを学生時代に知りました。
その頃の三島は、ノーベル文学賞の候補にもあがった世界的な文豪で、俳優、映画監督、舞台演出家としても活躍し、当時人気の北大路欣也、勝新太郎、石原裕次郎、西郷輝彦などをもしのぐ、単なる人気作家ではなく常にメディアを賑わせるスーパースターだったそうです。
時代錯誤の愚挙、常識を逸した行動、狂気、自己顕示欲などと言われ続け、極端な右派思想者による事件として扱われ、三島の憂いを真正面から検証することは避けられてきました。

自らの腹を切ってでも訴えたかった三島は、日本国憲法を改正し自衛隊を国軍とする道を模索し、現行の憲法は戦後の「偽善」の根源であり、日本の歴史・伝統・文化を骨抜きにしてしまったとして、警鐘を鳴らすためだったと言われています。
三島が描いた憲法像はどんなものだったのか。
「現在の日本の混迷の要因を考えるに、日本の国家像がはっきりしていないという点が挙げられる。日本の国体とは何か。端的に言えば、天皇御方にほからなない。天皇ご自身が日本の国体である。ところが、現行憲法にはこの国体の明徴化がなされていない。」

ではなぜ三島はそこまで自を追い込んだのか。
当日、駐屯地で配布した檄文(げきぶん)にこう記されてました。
<われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。(中略)日本人自ら日本の歴史を傳統(でんとう)を瀆(けが)してゆくのを、歯嚙(はが)みをしながら見てゐなければならなかった。(中略)われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた>

また、三島はこうも話しています。
<命の惜しくない人間がこの世にいるとは僕は思いませんね。だけど、男にはそこをふりきって、あえて命を捨てる覚悟も必要なんです。今の時点であなたにはっきりと言っておきますよ。ぼくのやろうとしていることは、人には笑はれるかもしれないけれども、正義の運動であって、現代に正義を開顕するんだという目的を持っているんです。>
と決意を口にしてます。

三島の心の奥底にある日本と日本人に対する誇りと、戦後日本に深く根ざした偽善に対する拒否感。
そして、葛藤から「行動」へと決断に至ったのは、日本の知識人に対する内部の敵に対する怒りだったと言われています。

三島が起こしたやり方は決して許されるものではありませんが、単なる一事件ではなく、三島が自らの命を引き換え訴えた多くの重要なメッセージを残してくれたと信じています。
三島は日本の将来を憂えただけでなく、日本と日本人を信じてもいた。
平和ボケ、経済大国ボケした私たちには突き刺さるものがあります。
日本を憂えながら将来に望みを託したことは間違いありません。
三島は日本国憲法について、「あと10年間は手をつけられない。」と語っていましたが、自らの命と引き換えに訴えたはずの憲法改正は10年どころか、50年たっても進んでいません。

学生時代三島作品を読みあさっていた時期がありましたが、改めて三島作品を読んでみたいと思います。
『花ざかりの森』、『潮騒』、『金閣寺』、『憂国』、『春の雪』、『英霊の聲』などなど。